さいたママのロボットの雑記ブログ

さいたま市在住小学生の母がロボットについて書きます

自分たちでメンテをしてくれるロボットがあったら手間いらず

どんなロボットの未来的に求められるのかということなのですが

実際問題としては家庭の家事をしてくれるロボット

というのがベストなことにはなりますよね。

 

人形(ヒューマノイド)にするべきであるのかというのは実際問題は

そこまで気にされていることではないです。

 

人型ロボット=ヒューマノイドロボット

 

どんなに人の形をしたせていようとも

そこまで人のような動きにこだわる必要性がないからです。

 

それなりに高いところに手を伸ばさなければならない

ということにはなるのですが

ロボットであればアームはいくらでも伸ばすことができる理由で

人形にして腕という部品を作らなければならないということになるよりは

マシということになります。

 

今でもそこそこ掃除をしてくれるロボットくらいのものはあるのですが

ここで問題になってくるのはメンテナンスをも

それなりにしなければならないということです。

 

どんな機械であろうともフリーメンテナンスというのは有り得ない、

ということは間違いないことではあるのですが。

 

例えば中央区与野駅前にたまったゴミを

自分たちで捨てに行くということはできなくはないのですが

それでもブラシの洗浄などをしなければならないですし、

その上でセットし直さなければならないという部分もあります。

 

このあたりのメンテナンスを機械同士で

行うことができるようになるということになりますと

本当に人間の手が必要なくなる

ロボットが出てくるということになります。

 

このあたりを是非とも期待したいところであるといえるでしょう。

そうすればとても楽ができます。

ロボットを導入したら生産性が上がってよいことばかり?

昨今、深刻な少子高齢化が原因で、労働人口が減り、日本の市場が縮小、衰退することが問題視されています。 このまま人口が減り続けた場合、小学生が大人になるころ2040年には深刻な労働力不足に陥ることが予想されます。

 

未曾有の危機を脱すべく、Aiやロボットを投入して仕事を効率化させて、生産性を上げることが日本経済にとって急務だと思いませんか?

 

ロボットに働いてもらって、私達は【ベーシックインカム】で何もしないで給料をもらい、好きなことだけやって楽しく暮らす。 一見、パラダイスのように思えますが、実際にそんな上手くいくでしょうか?

 

現代社会の資本主義は、富裕層が自分達に都合がいいルールを作り、労働階級の人々に働かせて、富を独占するシステム。

 

そんな簡単に自動集金装置を手放しますかね!労働階級の人々が何もしないで給料もらったら、言うこと聞かなくなるしね!経営者や資本家側の人が、人間を雇うことも考えづらい。

 

ロボットなら休憩もいらないし、ミスもない、飲み食いしないで24時間働いてくれる。初期投資だけでランニングコストがかからない。

ましてや、社会保障も必要ない。 資本家は富を更に拡大させて、富裕層の一部では、ロボットの投入して、仕事を自動化することで経済は活性化すると思います。

 

反面、きっと仕事もなくなり、失業者で溢れることが想像できます。 社会が二極化して、中間層がいなくなり、格差が広がる。

 

「じゃあ、ロボットを使うのやめよう!」と言っても、人口減少が著しい日本では、生産性を上げることが必須。ましてや、保守的な国だから、移民政策も進まないと思う。 やっぱりロボットに頼るしかない。

 

がしかし、ロボットを使えば、仕事は確実に減る。国の政策でロボットを人間と見なして課税対象にしない限りは・・・ 確実なことは、ロボットを使えば生産性は上がり、経済は活性化するが、格差が拡大して、歪な構造になる。

 

今は千葉からさいたま市に通勤しているのでロボットができると、通勤通学も楽になるといいなって思います。

小学生ママがほしいのは家事をやってくれるロボットだよね

小学生の子どもがいる子育て世代が欲しいロボットは、やはり家事や生活に必要なことを全てやってくれるロボです。

 

料理、掃除、洗濯はもちろん、移動もロボットが担ってくれたら助かります。

 

例えば普段はただのソファーなのですが、動けと命じればそのソファーからいくつもの脚が現れてそれに乗ったまま移動でき、もちろん階段の上り下りもそれに乗ったままできます。

 

そしてそのまま家の外にも出れるのですが、できるだけ広い所に家を構え、さらに何不自由なく過ごしたいので、色んな建設ロボットや農業ロボットなどが家の外で働いており、だだっ広い荒野を開拓してくれているのが良いです。

 

エネルギーは太陽発電や風力発電、あと川の流れを動力に替えても良いかもしれません。

 

あとドローンが飛び回り自動で周辺に異常がないかチェックしてくれて、異常があれば通知してくれます。

 

人恋しかったり外食がしたくなった場合は空を飛ぶロボットに乗って街に行きましょう。

 

あと何か欲しいものがあればでかいものだったら宅配ドローンが持って来てくれて、小さいものだったら3Dプリンタで作られます。

 

それらのシステムは全て統合されており、データも一か所に集められてAIによって処理されてより効率的にロボットたちは動くようになったら素晴らしいと思います。

 

あと効率の追求だけでは退屈なので色んな失敗をしながら成長していくロボットも欲しいです。

 

さいたま市立図書館までいかなくても、本を読み上げてくれるロボがあったらいいなとも思います。

 

それと一緒に遊んで色んな事を教えてあげ、そのロボットが成長していくところを見ていたら退屈などしないのではないでしょうか。

 

小学生の息子はロボットクリエイターになりたいといっています。わたしはロボット博士になってほしいです。

 

さいたま市のロボット教室ってどうなの?

小学生ママでした。

未来型ロボット

老人型ロボットeテレビのアニメの主題歌で

3人のおばあちゃんのロボットだ!

という体重の肥大したロボットの歌がある。

 

ペッパーくんなど家庭にロボットが普及し始めて数年が経つ。

 

ペッパーくんは固定されているので、

知的なばかりのロボットだ。

 

話し始める時の臨機が能力の高さを物語っついる。

 

会話型というのは、ロボットのイメージを変えた。

 

作業をこなすより人と向き合う形のロボットになった。

 

支配支配というのは、考えものだ。

 

会話型からどんな言葉を発するか様子を

見ているという程度ではそんな話にならない。なのだろうか?

 

なんでもロボットのせいにして支配したのなんのと言い始める時、

被害者が逆走して虐待事件を起こすかの恐怖を感じる。

 

支配などという話でなおそんな傷つけ合いになるのだ。

 

何かのせいだと支配だと感じるのが、傷つけ合うことから生じる。

 

重さがつける傷というものの重さは人間の想像を超えている。

 

ハンデがあるから当たり前だというかんがえかたが、

支配となっていたのではないか?

障害が傷つけることの重さはロボットのせいにしても解決しない。

 

職職ばかりではない。

殺人ロボットや強奪ロボットなどを

作らない約束をして欲しいと述べていたのだが、

なかなか約束には漕ぎ着けない。

 

人間の欲望というが、

誰かの狂信的な開発に対する欲望でしかないのではないか?

役に立つことも稀だ。

 

欲望が果たされたと犯罪ロボットについて述べる者もいるが疑わしい。

 

軍の兵器まで持ち上がることもあるが、ケチなロボットでしかないのだ!

 

自動運転ロボットが限界集落にいるお年寄りの味方になる

山奥や離島といった交通が不便な地域では、

高齢化によって苦しい生活を強いられるお年寄りが増加中。

 

山奥の場合では病院や買い物をするためには車が必須なので

離島の場合には船の運送がなければ本土に来ることはできません。

 

しかし、高齢になってくると運転能力は落ちてきてしまいますよね。

 

定期バスやフェリーといった公共交通機関は、

地方自治体の赤字財政が続き維持することが難しい。 

 

買い物や病院に行けない高齢者が増加、

交通弱者の立場に追い込まれて苦しい生活を余儀なくされています。

 

不便な環境にふるさとに見切りをつけ若者は街に流出。

 

結果として地方の限界集落化が進んでいます。

 

こうした深刻な状況を自動運転ロボットが救うかもしれません。

 

自動で車やヨットを運転してくれるようになれば、

高齢者の方も安心して街や本土を訪れることができます。

 

買い物や病院に困ることはありません。

 

また、わざわざこちら出向かなくとも、無人運転ドローンが買った物を届けに来てくれる未来もあります。

 

街に出ずに地域に残るという選択をする若者も現れると想定されます。

運転に関わる問題を自動運転ロボットが解決できれば、

交通弱者問題や限界集落問題にも光明が見えてくるでしょう。

認知症の高齢者対策のロボット化について思うこと

高齢化社会少子化社会が進む日本には、

高齢者対策にロボットが活躍してくれたら本当にうれしいです。

 

今も実際に、寝たきりの老人や病人を

移動させる身体介助をするロボットや、

歩行をアシストするロボットがありますよね。

 

でも私が希望するのは、認知症の高齢者の見守りと

介護をしてくれるロボットの出現です。

 

身体的に問題がなくても、

認知症の高齢者を見守るというのは、

介護者の精神的ストレスがはんぱではありません。

 

少し目を離したすきに線路に入った認知症の高齢者のために、

家族が損害賠償を請求されたニュースは

まだ記憶に新しいのではないでしょうか。

 

そうしたことがないように

さいたま市にも見守りをしてくれるロボットがあれば、

睡眠を削ったりして高齢者を監視したりしなくてもよくなります。

 

こうしたロボットがいれば、

介護離職の問題も確実に減ります。

 

また、そのロボットが見た目もかわいらしく

触感も柔らかいものであれば、

認知症の高齢者の繰り言をいつまでも聞いてくれるし、

高齢者も嬉しくなります。

 

さいたま市立病院にロボットナースがいたらいいです。

 

認知症は、安心をすれば問題行動もおさまるといいます。

 

ですから、これからの介助ロボットには、

身体的な介助だけでなく、

話し相手と見守りの機能をぜひともつけて欲しいと思います。

 

ただ、こうしたロボットも

どんな家庭でも備えることができるものでなくてはならないでしょう。

 

今は高齢者の保険も充実してきていますが、

ロボットが各家庭に導入できるほどの政策を、

国のトップの方々にはお願いしたいと思います。

 

私の希望するロボットの技術などは可能になると思いますが、

その恩恵を誰もが受けることができるような

社会になって欲しいと切に願います。

私たちがロボットに向けていた夢は何処へ行ったのだろう

ロボットと言った時、あなたは「どの」ロボットを思い浮かべるだろう。

 

空を自由に飛び回る少年の姿と心を持ったロボット

 

ドラ焼きが大好きでお節介な真ん丸ロボット?

 

大きくて強い鋼のボディを持った強大な兵器? …

 

そうやって私たちが夢を託しては色々な姿を見せてくれたロボット達。

 

だけど、現実、現在に彼らの居場所は無いように思える。

 

中には生まれているはずの誕生日を過ぎてしまっているロボットも居る。

 

今、そして未来に、彼らの居場所はあるのだろうか。

 

ロボットで溢れる今 現在でもロボットが活躍している環境は幾つかある。

 

工場で腕だけのロボットを思い浮かべる人も居るだろうし、お掃除ロボットとして幾つかの種類が発売されて久しい。

 

ペットロボット、というものが一世を風靡した事もあったし、ロボット潜水艇や果てはロボット飛行機が偵察や攻撃をしている…なんてニュースを聞いた事もあるかもしれない。

 

そういう意味では、今の世の中はロボットというモノには溢れているかもしれない。

 

ただ、私たちが夢見た、今でもそうした夢と一緒に語られる彼らの姿が、そこには見当たらない。

 

技術の意味と夢の価値 今の世の中に溢れるロボットは「何の役に立つか」といった観点だけで作られるものしかない。

 

ペットロボットですら根本的な所で「技術試験」という意図からは逃れられないし「売る為に作られる」という事からは逃れられない。

 

それが全て悪い事では無い。

 

ただ、夢を語るのには現実が余りに窮屈になってしまっている事を、現実に居場所が見えない彼らの姿を通して伝えられているように感じる。

 

技術が進歩するには、時として現在からは全く意味の分からない、それでも「出来る、作れる」という所に莫大なエネルギーを注ぐ事から始まる。

 

その為に何が必要なのか、本当の意味で全てを分かっている人は誰も居ない。

 

ただはっきりしているのは「何の役に立つか」と聞かれて答えられるような物なら、それは「彼らの姿が見えない今の世の中に価値を見出されている物」だということ。

 

彼らの待ってる未来を私たち一人一人がほんの少しだけ、思い出してみる事。

未来のロボットの姿はそこにあるのではないだろうか。