さいたママのロボットの雑記ブログ

さいたま市在住小学生の母がロボットについて書きます

私たちがロボットに向けていた夢は何処へ行ったのだろう

ロボットと言った時、あなたは「どの」ロボットを思い浮かべるだろう。

 

空を自由に飛び回る少年の姿と心を持ったロボット

 

ドラ焼きが大好きでお節介な真ん丸ロボット?

 

大きくて強い鋼のボディを持った強大な兵器? …

 

そうやって私たちが夢を託しては色々な姿を見せてくれたロボット達。

 

だけど、現実、現在に彼らの居場所は無いように思える。

 

中には生まれているはずの誕生日を過ぎてしまっているロボットも居る。

 

今、そして未来に、彼らの居場所はあるのだろうか。

 

ロボットで溢れる今 現在でもロボットが活躍している環境は幾つかある。

 

工場で腕だけのロボットを思い浮かべる人も居るだろうし、お掃除ロボットとして幾つかの種類が発売されて久しい。

 

ペットロボット、というものが一世を風靡した事もあったし、ロボット潜水艇や果てはロボット飛行機が偵察や攻撃をしている…なんてニュースを聞いた事もあるかもしれない。

 

そういう意味では、今の世の中はロボットというモノには溢れているかもしれない。

 

ただ、私たちが夢見た、今でもそうした夢と一緒に語られる彼らの姿が、そこには見当たらない。

 

技術の意味と夢の価値 今の世の中に溢れるロボットは「何の役に立つか」といった観点だけで作られるものしかない。

 

ペットロボットですら根本的な所で「技術試験」という意図からは逃れられないし「売る為に作られる」という事からは逃れられない。

 

それが全て悪い事では無い。

 

ただ、夢を語るのには現実が余りに窮屈になってしまっている事を、現実に居場所が見えない彼らの姿を通して伝えられているように感じる。

 

技術が進歩するには、時として現在からは全く意味の分からない、それでも「出来る、作れる」という所に莫大なエネルギーを注ぐ事から始まる。

 

その為に何が必要なのか、本当の意味で全てを分かっている人は誰も居ない。

 

ただはっきりしているのは「何の役に立つか」と聞かれて答えられるような物なら、それは「彼らの姿が見えない今の世の中に価値を見出されている物」だということ。

 

彼らの待ってる未来を私たち一人一人がほんの少しだけ、思い出してみる事。

未来のロボットの姿はそこにあるのではないだろうか。